PROFILEプロフィール

荒木 のり子
1982年 新潟県長岡市生まれ。
TRANSWORLD JAPAN(渋谷区)、株式会社ニューズ・ライン(新潟市)で雑誌編集、2016年より長岡市議会議員を経て現在、新潟県議会議員。
趣味
ラーメン屋さん巡り、読書、スポーツ観戦、料理、ヨガ
所属団体
・自由民主党 新潟県支部連合会
・新潟県女性議員の会
・保守系女性議員の会 雪椿の会
・長岡読書倶楽部
・河井継之助記念館 友の会
・こどもmirai研究会
HISTORY荒木のり子の歩み

共働き両親と姉、弟、5人暮らし
1982年2月1日表町生まれ、南部保育園を経て、市立千手小学校。発音が悪く「ことばときこえの教室」で指導を受けました。水泳部では部長に。放課後は児童館でオセロとドッヂボールをするのが好き。
父は荒木家具(当時、表町)に勤務し、母の松川キヌヨは議員のかたわら祖父母とガソリンスタンド松川石油を営む共働き。両親ともに忙しく保育園の近くに住んでいた前田さんが母親代わり。
父と散歩で古本屋巡りが休日の楽しみ。

スタメン選抜に落ちて涙の青春
1994年4月、1学年9クラスのマンモス校である市立南中学校へ入学。ソフトボール部に入部し、ポジションはセカンドに。熱血スパルタ指導のおかげで、根性とフォロワーシップを鍛えられ、北信越大会ベスト4に。中学3年生の時に旭岡中学校が開校し、分離が行われた。
中学卒業後、県立大手高等学校 被服科へ。早朝も夕方もバイトに勤しみ、休日は市立図書館で本を読んだり、青春18きっぷで東京に遊びに行ったり、高校生活は上の空。

米カルチャーに浸かる東京時代
大学進学で上京。音楽情報誌でのアシスタントとバイトざんまい。貯めたお金でNYに語学留学(短期)も。卒業論文として「フリーペーパーと渋谷の経済について」考察し、立正大学経営学部を無事に卒業。
卒業後は、編集プロダクションに入社。全国の地方都市をはじめ、ニューヨーク、ロサンゼルスで、音楽とファッション、米西海岸カルチャーを取材、撮影。原稿書きで締切に追われる日々。中越大震災を機にUターンを決意。

Uターンし、新潟の魅力を再発見
2009年9月、株式会社ニューズラインへ転職を機に新潟へUターン。雑誌「新潟WEEK! 」「月刊新潟Komachi」編集部に所属し、県内各地の食や観光スポット、人物を取材・執筆することで、新潟の豊かな自然や食、人材と歴史を再発見。 一般社団法人長岡青年会議所に所属。市内小学校へ長岡空襲から復興の歩みを伝える「平和学習」などで仲間と切磋琢磨。NPOおもいのほかや長岡読書倶楽部にも参画し、地域活性への想いが膨らむ。

子宮にがんが見つかり、手術
29歳時から子宮頸がん検診の再検査を繰り返していた。10回目の検診でがんが見つかり、子宮入り口を手術で円錐切除することに。33歳の時でした。手術のことは仕事先や友人に告げず、こっそり入院。早期の発見で子宮は残せたが、友人の恋愛や子どもの話が疎ましく、そう思う自分も忌々しく、鬱屈とした日々を過ごす。
子宮頸がんは若年層での罹患が増えており、予防・早期発見が肝心。正しい知識の周知をしたいと考えるように。

34歳の時、市議選に立候補
編集者として、がんで苦しむ若年層を減らしたいと、大学病院へ取材したり、特集提案をするも、力及ばず。社会にアプローチする方法を模索していたところ、市議会議員の補欠選挙があることを知り、家族や会社の理解を得て一念発起し立候補。奇しくも対抗馬が現れず無投票で当選する。
2年後の統一地方選挙では、5933票を頂きトップ当選。その後、涙ぐましい婚活の末、同級生の兄と結婚。38歳で第一子を無事出産した。

県議選に出馬、3児の母に
市議会では、編集者時代の経験を活かし、子育て世代へアンケートをとるなど当事者の声を広く聴取し、地域活性や産業振興など議会で提案。大学講師を招き子宮頸がんの勉強会なども実施。
これからの人口減少時代、広域連携の必要性を強く感じ、2023年、新潟県議会議員選挙に立候補し、当選した。
県議会でも、地域の方々の声、当事者の声をもとに地域活性、健康づくり、子育て、産業、防災、福祉などの政策の充実に取り組んでいます。












